現在執筆中のAyuoの自伝的小説からの抜粋コーナー



 

「1968年に僕はギターを始めた。」


1968年に僕はギターを始めた。 僕はニューヨークに住んでいて、ニューヨーク市の公立の学校に通っていた。 僕の両親はその68年から69年の冬に離婚する事になった。 といっても、すでに僕が4歳の65年から父はほとんど一緒に住んでいなかった。 ヒットチャートではドアーズやジェファーソン・エアプレーンが流行っていた。

そのころ、ベトナム戦争に対する反戦運動が広がっていた。 僕の学校の先生の大部分は学生運動世代で、学校はストで閉まっていた。 学校が開いても、政治的な議論をする事や、政治家に対する抗議の手紙の書き方、 などを中心に教えていた。 いつも何事にたいしても、なぜ?どうして?と聞くように教わった。 そしてアメリカの歴史のテキストは間違いだらけだと教わった。 デモに小学生のうちから参加するように言われていた。 普通の数学や科学には先生自身に興味がなく、ほとんどやらなかった。 中学校にいって、割り算が出来ない事がそれまででは普通ではない事が分かった。 ニューヨークは誰もが移民の町だから、同級性一人一人が違う民族の両親を持っていた。 小学生から中学生の時期の僕の家族は、日本人の母と彼女が再婚したアメリカ国籍のイラン人の父だった。 イラン人の父の家族はイランでは宮廷の音楽家だった。 彼は毎朝イランの古典音楽をシャワーの中で歌っていた。

68年頃、小澤征爾が指揮をする、あるオーケストラのコンサートでイギリスのEMIレコードを代表する、白髪のいかにもイギリス紳士風の人と出合った。 僕がギターを始めたばかりだと言うと、彼はEMIが当時売り出そうとしていた新しいグループだったピンク・フロイドの最初の2枚を僕にくれた。 ほとんどの曲はシド・バレットが作詞・作曲をしていた。 当時ニューヨークではシド・バレットやドアーズやジェファーソン・エアプレーンは子供が聴くためのポップスだと思われていた


Ayuo