コラム



「Heavenly Garden Orchestra - (NEO-TRADITIONAL) 1995」


日本最古の楽譜は、古代ペルシャの宮廷音楽などを含む唐時代の宮廷楽譜集である。
Cantigas De Santa Maria の様な西ヨーロッパの最も古い楽譜集は、ヨーロッパ中世時代にスペインを支配していたアラブ人が連れてきた北アフリカや中東の音楽家から学んだ音楽である。さらにそれはペルシャ、ギリシャや中国の楽器や音楽の方法論が受け継がれたものである。
また17世紀までのケルト諸国(アイルランド、スコットランドなど)に残っていた宮廷音楽は、5000年前の古代メソポタミアからの宮廷音楽の伝統を引き継ぐ最後のものであると近年の学者達はみている。古代メソポタミアの石に刻まれた音楽やその方法論は、中世時代のアイルランドの音楽の方法論と同じものである。音楽学者のC・W・Bayerは"The Historical Method of the Celtic Harp"という本で、この説について詳しく説明している。19世紀からアイルランドのナショナリズムの運動の中で一般に歌われて広まったアイリッシュ・フォークソングもこの伝統を受け継いだものだが、もはやそれは宮廷音楽ではなく、エスニックなものとして愛国心を高める為の象徴として使われた。しかしエスニックという言い方もフォークソングという表現の仕方も19世紀から始まったものに過ぎない。
中学生の頃に初めて僕がケルティック・トラッドを聞いた時、とても東洋的に聞こえ'オリエンタル・ミュージック'として受けとめた。 そしてこういったものが僕がネオ・トラディッショナルと呼んでいるもののルーツなのである。あらゆる王国の領土を越え、色々な人々の間で育ちながら旅をしていった音楽。

最近のエスニックやワールド・ミュージックのブームの一つの難点は単にエキゾティックなものに憧れるという傾向だ。そこには、まるで西洋人が文明を広める前は世界のあらゆる人々は野蛮でプリミティブであったというような西洋の優越意識がうかがえる。それは例えば今世紀の初め頃アメリカの黒人が音楽をやるためにはアフリカン・エキゾティシィズム(デューク・エリントンのジャングル・サウンド、ジョセフィン・ベーカーのダンスに表されるもの)を主張しなければいけなかった状況とも似たものがある。当時は白人のオーケストラでは当然いくらテクニックを持っていても白人以外の音楽家は雇えなかった。しかし最近では色々な国の政府が'変わっている'外国の音楽を、エキゾティシィズムの愛好者の為に資金を出して援助している。それに便乗して、ビジネスをする者も増えきた。だが、文明は全て西洋のものであり、洗練されたものあるいは西洋にある音楽と似た方法論ものは、たとえ独自なものであっても西洋の影響の結果とされてしまうことが多い。神話学者はこれと似たような状況を、民族の神話の中にみている。アメリカの先住民の神話では、たいてい自分の民族こそが選ばれたものであって、周りの民族は全て' Funny Face 'とか変わりものよばわりしている。旧訳聖書におけるユダヤ人もそうであるが、これはその民族を一つの特別なものとしてまとめる役目を果たしていた。現代社会に置き換えれば、より変わったものでないとエスニックとしての商品価値がない。 昔、音楽はどこでも同じ役目を持っていた。その国の自然の環境とそこに育った木や皮などの素材による響きのみが大きな違いであった。ペルシャのSetar(ペルシャ語で三弦という意味)、中国の三弦、日本の三弦、トルコのSazとヨーロッパのGuitar(-tarはペルシャ語で弦という意味)との違いは民族的、人種的な違いではなく、そこの自然環境が創りだす素材の中から一番好むものを選んだにすぎない。源は同じ楽器である。

古代ギリシャではリズムの表し方が音程の書き方よりも先に作られていた。つまりリズムの方が音楽の中心であり、音程やモードはその後に自然倍音からまとめ上げてその使い方を作り上げた。 人間一人一人の鼓動や血の流れる音、頭蓋骨に響く音こそがその人の聴きたい音や創りだす音のベースになるものだ。その為、人は夫々違う好みもあるかもしれないが同じようにも反応する。モンゴルにホーミーという声の使い方がある。それは一つの音程を歌いながら頭蓋骨を響かせて、その倍音で五音階のメロディーを作るものである。世界中、たとえアイルランドでもアフリカでも日本や中国でも五音階のメロディーが非常に多いのはこのような自然の法則と関係があるように思える。ワールド・ミュージックに対しても、その違いよりも共通点にこそ注目すべきもがあるのではないだろうか。
朝起きる時に、小鳥の声の音楽はあなたにとってどう響くだろうか?
詩のリズムの様に聴こえるかもしれない。長三度の音程の響きに聴こえるかもしれない。こういったことが音楽を創る源だと思う。

高橋鮎生