コラム



「Earth Guitar (1999) - 千の春の物語」


曲解説

Moj Dilbere / My Dearest / 私の愛しい人 including Izutsu no.3 ボスニアでオリエンタルなメロディーとして残っている曲。ボスニアの首都のサラエボという地名は、キャラバン(サライ)の停まるところと言う意味があり、ここがシルクロードの西側の終着点と考えられていた。過去には東洋からたくさんの物が運ばれ、スラブ人、ユダヤ人、遊牧民など様々な民族が住んでいた。ボスニア出身のシンガー、ヤドランカが覚えていたメロディーを基に、僕がイントロのメロディーをハーディー・ガーディーで作り、ピーター・ハミルがゴシックなコーラスをつけた。途中の朗読は世阿弥の「井筒」に基づいているが、英詞にする時にポーの詩のようなゴシックなニュアンスが感じられるように意識した。サンプリングの打ち込みにはブラジルのサンバの要素とアラブ風のパーカッションが現代的なビートと混ざっている。

The Holy Man and the Sinner Within 聖者と内なる罪人 この曲の詞は、映画「その男ゾルバ」や「最後の誘惑」の原作者、ニコス・カザンタキスの小説"The Fraticides"からアイディアを得た。美しい彫刻を木で彫る聖者の中に潜む邪心と、ある町の話との共通点が描かれている。ユーゴやアルバニアの国境に近い山の町で、第二次大戦後に住民が左翼と右翼とに分かれて殺し合いを始める。とはいっても町の人々がマルクス思想などに傾倒したわけではなく、隣人にたいする鬱積した妬みが原因となっていた。「あいつは、いい食器を持っているからブルジョアだ!」例えばそんな理由で攻撃されるのだ。人間の中には誰にもこうした邪悪なものが潜んでいて、きっかけさえあればそれは戦争にまでも発展しえるのだ。 音楽はバルカンのスタイルで作られているが、大熊さんの演奏する雅楽の楽器、篳篥はシルクロード的なルーツをさらに引き出している。この曲のバックはシカラムータとアユオ・トリオのメンバーがベリーダンスの激しいリズムを展開している。

Standing at the Edge この曲は1987年に作られたもので曲調は『ノヴァ・カルミナ』(MIDI)に近くなっている。歌詞の中に出てくる"common mind"とはユングの言う〜人類全てが共通に持っている神話や夢の意識〜を指している。人類が様々な地域で神話や物語を共通に持っているのは、実際的な文明の交流によるものと、ユングの言うように人類の根底に〜共通の意識〜があり、それが夢などに出現するという2つの原因が考えられる。このことは詩や物語だけでなく、音楽にも同じことが言える。

Dance of Life 生命の踊り この曲は人類学者エドワード・T・ホールの同名の本を読んだときにインスパイアーされて作ったものだ。ホールは"Hidden Differences, Doing Business with the Japanese"など、アメリカ人からみた文化的に違う人々との交流における様々な問題に、独特な説明をしていて、非常に面白かった。一時期自分が仕事をする上でも、この本を参考にしていた。彼によれば時間の感じ方は文化によって違っていて、例えばホピ・インディアンの言葉には過去形がない。彼等は「私はさっき泳いだ」と言わず「私さっき泳ぐ」と言う。文化による違いだけではなく、個人的にみれば多くの場合、人は子供の時のほうが時間をゆっくり感じている。まず時間の感覚やお互いの生活のリズムが合わないとコミュニケーションをとるのは難しいものだ。この曲はお互いのリズムを生命の踊りの中でシンクロナイズすることについて歌っている。またリズムはサルサで使われる2−3claveと途中からボサノバのサンバのリズムを使った。

今宵は春の夜 この曲は太田裕美のヴォーカル、デビット・ロードのキーボードと打ち込み、そして僕の中国箏とブズーキーとギターで作られている。歌詞は19世紀の作曲家マーラーが好んで使った詩集「子供の魔法の角笛」に出てくるようなイメージにした。一見すると子供の楽しい夢を描いているのだが、それは現実の暗闇を知った上での夢となっている。このメンバーで録音するのは久しぶりである。1987年頃は太田裕美さんと箏奏者の沢井一恵さんと演奏する機会が多く、2人とはでイギリスに行きデビット・ロードのスタジオでアルバムを録音したこともある。この時の曲は、現在は太田裕美のボックス・セット"First Quarter"に収録されている。

Cantigas この曲は13世紀にスペインのアルフンソ10世によって集められたメロディーの1つに基づいている。この楽譜集はスペインがアラブ人に支配されていた時代に中東の音楽家から学んだ曲やユダヤ人やケルト人の曲がたくさん入っている。この中東の音楽はペルシャ、ギリシャや遠くはシルクロード果ての中国の楽器や音楽の方法論が受け継がれたものだった。今回の録音ではナダージュのSine Qua Nonとデビット・ロードによるキーボードと打ち込みが現代に蘇らせた神秘的な香りとビードで包んでいる。歌は上野洋子。

Different Languages それぞれの言語にはその言葉でしか表現できない言い回しがある。僕が日本語詞を英語に訳す時は、言葉よりもニュアンスを訳すようにしている。一つ一つの言葉にはその色合いのようなものがあり、言葉として最もきれいに響く音がある。僕は幼稚園の時はドイツ語、小学校から高校の終わりまでは英語をメインの言葉として話していたので、こうした違いやコミュニケーションの難しさを身にしみて感じることがある。曲はC9のオープン・チューニングCGDEGCとなっている。こうしたアコースティック・ギターのスタイルは中学生の頃身につけたもので、僕の音楽スタイルの根本にあるものだ。

Rain and Snow (including "Kuzure") グレイトフル・デッドやザ・ペンタングルなどもカバーしたアメリカのトラッド。もともとはヴァージニア州かノース・キャロライナ州の山の歌で、この地域のカントリー・シンガーたちに好まれて昔から歌い継がれている曲。僕のバージョンではブズーキやハーディー・ガーディーが中東音楽や中世音楽に近い雰囲気を醸し出している。また途中の朗読の部分で演奏されるのは薩摩琵琶の'語り物'で、戦いの場面で演奏されるくずれ崩である。このくずれ崩は、映画「怪談」の「耳なし法一」の部分で唄われる『壇ノ浦』という曲にも使われている。カントリー・ミュージックと琵琶音楽という普段は見られないコンビネーションが、シルクロードの共通のルーツを通じて自然に出会っている。

1000 Springs 千の春 アイルランドにこのような神話がある。男が歩いていると、海の中から馬に乗った女神がやって来て、海の中の永久に春の続く国へと誘う。彼は女神の馬に乗って海へと入り、そこで何百年という歳月を瞬く間に過ごしてしまう。しかし昔の生活や友人が懐かしくなり、地上に少しだけ帰りたいと女神に言う。「馬を貸すからこれに乗って行きなさい。しかし絶対に馬から降りてはいけませんよ。」と女神に言われる。地上にもどると昔の友がいないどころか、違う人類が地上を支配していた。彼らはとても背が低く、彼から見ると小人のように見える。大勢の小さな人々が重い石を運んで家を建てるのを見て、男は思わず手を貸そうとして落馬する。すると目の見えない老人になってしまった。この話と浦島太郎との共通点の多さに、初めて読んだときは驚いた。しかしこのような神話や物語の共通点について書いたものはまだ少ない。この曲はこの神話に基づいて、ブラジルのボサノバのリズムを使って作った。実はブラジルと言う名前も海の中の楽園を指したもので、ポルトガル人が初めてブラジルを見た時に、彼らに伝わるこれに似た昔話から名付けたそうだ。

Evolving この曲は1987年書いたもので、その後よく演奏している。歌詞は僕が中国に行った時に書いたもの。少年と少女が古くからある寺院の中で木彫に囲まれて、過去の歴史の流れと自分たちの未来を語る。イヴォルブとは進化するという意味で、自分たちも長い歴史の流れの一部に流れの一部になることをデュエットで語り合うという内容だ。

He Needs Something To Believe (Eurasian Tango 3) この曲は高橋アキの委嘱により作曲したピアノ曲「ユーラシアン・タンゴ第3番」。ギリシャのレンベティカの曲を研究している時に作った。ギリシャの初期のレンベティカには、ビザンチン音楽や古代からギリシャやオリエントに残っているテトラコードを組み合わせて作るモードに基づいた方法が受け継がれていた。しかしこのような音楽の方法論はペルシャや西アジアから中央アジアにかけて最も広まった。日本の音楽もこうしたユーラシアのルーツを受け継いでいる。歌詞はカルト教団や、一人の思想を押しつける政治団体に取り憑かれた人について歌っている。