コラム



「ジェーン・シベリー 『必要のないものは捨てる』」


ジェーン・シベリー 『必要のないものは捨てる』

2009年に、My Space というサイトにページを作った時、ジェーン・シベリーというシンガー・ソングライターと何度か連絡を取り合った事があった。

ジェーン・シベリーは1980年代ではウインダムヒル、1990年代の前半ではワーナーからメジャーで成功したアルバムを出していた。ヴィム・ヴェンダースの映画のテーマ曲など書いたり、ホリウッド映画でも何度か彼女の曲は使われていた。いい曲をたくさん書いている人だ。

僕は1988年に、ジェーン・シベリーのコンサートを見た時、とても大きくインスパイアーされた。もの凄くパワフルだった。レコードやCDだけで聴くと分からない面がコンサートでは伝わってきた。CD等で音だけで聴くとソフトで明るい音楽にも聴こえたりするが、ステージで演奏しているのを見ると、人間の力強さのようなものが伝わってきた。力強いというのは音が大きかったり、表現が大きかったりするものではない。逆に、沈黙の中でのささやきで、力強さは伝わってくる。ジェーン・シベリーの言葉と音楽には人を変えさせる力がある、と思った。当時、僕は音楽と語りとで物語の音楽劇を作ろうとしていた。ジェーン・シベリーの言葉と音楽、その考え方と見せ方には、僕が考えていたものと共通のものを感じた。ジェーン・シベリーの『The Walking』の中に入っている曲『The Bird in the Gravel』では、いくつかの繰り返される音の上で、秋の森の中で数人の人物が登場する物語になっている。The Master, the servent, the birds, the maid, truck driver, a boy coming home fom lesson, another boy. 曲は11分位で、殆ど変化のない曲だ。しかし、最繰り返しパターンから出て来る最後の盛り上げ方はすごかった。

ジェーン・シベリーは元々カナダのトロントでミクロ・バイオロジー(微生物学)を研究していた。学生時代から歌を作っていたのがヒットしてしまってから、プロの音楽家になった。しかし、最近でもバンクーバー大学で生命科学のレクチャーもしている。80年代にジェーン・シベリーが作っていた曲では、音楽そのものは明るいエモーショナルなポップスに聴こえるが、言葉を見ると、数学用語を歌詞に並べているように見える曲もあった。

僕が最も好きな小説家の一人、ジャネット・ウィンターソンも、宇宙物理学や生命科学の専門用語が、おとぎ話や神話に基づいたモチーフの中でも次々と出て来る。魔術的リアリズム、モダニズム、ポスト・モダン二ズム等、作風は毎回変化している、と書かれたりしているが、テーマはいつも共通している。神話と昔呼ばれていたものを、現代にふさわしい文学として書いている気がする。文学としての構成もしっかり作られているが、その内容からは、とてもとても暖かいものが伝わってくる。僕が始めてウィンターソンの本を読んだ時、ここまでも自分と近い感じ方をしている人が世の中にいるのかと思った。

ジェーン・シベリーは、90年代の半ばに、レコード会社ともめて、自分の過去の音源の権利を自分で買い取って、自分のレーベルを始めた。しかし、アーチストでありながら、レーベルを同時に運営するのはかなり大変だ。まずはCDをプレスに出すのをやめて全てMP3にしてしまった。しかし、一曲が80セントなどわずかな定価なのに、いちいちクレジット・カードの期限が切れてますなどと言う連絡を一々するのも大変。

その内、ネットのサイトには、『欲しいアルバムがあったら、メールを送っていただければ、リンク先を教えますという』言葉が載っていた。『後に払う気持ちになったら、その時に払ってください』と書いてあった。ビジネスにならなくても、聴きたい人には聴いてもらいたい。

そして、21世紀の始め頃には自分の家や車を売って、自分の楽器、録音機材から洋服を人にあげたり、うったりしてた。一つのスーツケースのバッグに入るもの以外は全て自分からなくしてしまった。そして、ホームレスと同じ状態に自分からして、人の家に居候するようになった。『今の時代はものがあふれすぎている。情報もあふれすぐている。必要のないものは捨てる』と彼女は言っている。

アマゾンなどのCDコーナーではお客さんが彼女を精神科に連れて行った方がいいという書き込みまで書いてあった。

バッグ一つに入るもの以外は全て捨ててしまうような事は中々出来ない事だ。今ではトラベル・ギターを一つ買ってあって、それでコンサート活動を続けている。

こんな事を書いている僕も、たくさんのCD,本、スコア、書いたノート、音楽とチラシの山に埋まれた生活をしている。今まで書いてきた音楽。タワーレコードから送られてきたCD。学校で教えてきた音楽史の資料。様々なジャンルの文学、音楽、画集、科学と歴史の本。整理されてない日はゴミの山のように見える。

地球は変化してゆくが、今の時代は僕が生きてきたどんな時代よりも変化を望まない時代だ。情報がネットからも、街に出るだけでも、あふれきっている。あふれだす物に埋まって、何が大切か分からなくなってゆく。音楽CDはスタンダードと古典化した音楽を出し続ける。クラシック、クラシック・ロック、スタンダード・ジャズ、コンテンポラリー、古くなった前衛、あふれすぎた音楽、アート、エンターテインメントは大きなゴミの山に変わってゆく。レコード店に行っても、本屋に行っても、電気屋に行っても、粗大ゴミの山に見えてくる。ゴミの山になったミュージアムゴミの山になったネット。友達のメールなのか、売り込みのメールなのか?情報なのか、迷惑メールなのか?

何が大切?

変わらないようにしている人たちは昔の時代のヴァーチュアル・リアリティーに自分を囲んで生きてゆくことが出来る。しかし環境は毎日のように変わっている。科学の情報を見ていると、新しい発見が常にある。わたしたちの遺伝子の構造の発見。わたしの生きている世界の原子の構造の追求。人間によって新しい生命が科学的に作れる時代。前と変わらず、わたしたちは常に変化の中で生きている。スタンダード化したアートは幻想だ。その幻想を今見たがっているのか?

今生きているこの時間で、語らなければいけないと思っている事を語り続けたい。それにはどう生きたら良いか?

You Don't Need  必要がない
(1980年代にJane Siberryの作詞した曲の解釈と翻訳: Ayuo)

必要がない

辛いのは
彼女を思っている時の、君を見る時
人の為の心の思いは
私の心を重くしてしまう
メシル・ティドフィルのスラグ
一度胸を波立たせてから
ため息をつく
そして、その後は、何もないように見える

誰も必要としない
心の支えもいらない
恋人もいらない
自分一人で大丈夫だ
誰にも恋されたくない
誰にも必要だと言われたくない
そして、そのように思っている事を
君に伝え、信じてくれたと思った

そして、沼地の中へ歩いて行った
そして、私のほほは白く燃えていた
かぶっているフッドは、離された人の象徴
そして、心の痛みが、私たちのつながり
そして、名前の知らない鳥が歌った
名前の知らない鳥が歌った
君はまだそこにいるだろう
人が立ち止まって、君と話しているだろう

そして、風が氷のかけらの上を吹き飛ばしている
氷りついた溝が広がって行く
ツンドラにつまづく私
ツンドラは私の恋人
そして、ここで寝る
時間がたってから
片腕を空に上げてみた
もしも、高く上げて
長く、そのまま、ほって置く事が出来たら
雪が私を自分に戻してくれるだろうか?
ここは泥も凍っているベッドゲラート
そして、雪は滑らかで、やすらかに休ませてくれる

誰も必要としない
心の支えもいらない
恋人もいらない
自分一人で大丈夫だ
誰にも恋されたくない
誰にも必要だと言われたくない
君はまだそこにいるだろう
人が立ち止まって、君と話しているだろう

そして、遠い黒い空にあった一つの星を食べて見た
その星は私の片目の後ろに浮き上がってから、ゆらめいた


www.janesiberry.comのホームページを開くと、Jane has decided to offer digital downloads of her work for free. Please visit www.janesiberry.com to download music と書いてあるで、興味のある方は聴いて見てください。